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サマーカンファレンス2002鳥羽 プログラム |
本カンファレンスは,Social Motivation研究分科会として継続してきた2つの企画(第12回大会『Social Motivationの発達研究』,同第13回大会『Social Motivationの形成における社会的文脈』.いずれも日本発達心理学会)における,動機づけ研究における「文脈」についての議論を,さらに深めるために行われる.
近年,心理学における「状況」や「現場(フィールド)」,また「文脈」についての議論は盛んである.しかし,これらの理論や概念が十分に整理されたと言うことはできない.特に動機づけ研究者にとっては,動機づけ概念を文脈や状況から切り離して進めてきた経緯があり,こうした近年の動向とは相容れない感もある.
たとえばある子どもの行動を観察したときに,単純に動機づけの「ある」「なし」や「高い」「低い」が言えないことは明らかだろう.仮に子どもがだらだらと寝そべったり,見るともなしにテレビを眺めていたりしたとして,それはその子どもに動機づけがないためだ,あるいは低いためなのだとする結論は,あまりにも早急すぎる(たとえばサッカーの試合を終えて疲れていてために,あるいは,頭の中で来るべき夏休みの計画を立てていたために,そのように行動していただけなのかもしれないのである).
また一方で,状況論の視点から子どもの行動を観察したときに,似た状況に置かれた子どもに見られる行動の差異を,どのように理解・説明したら良いのだろうか.子どもに生来備わっているある種の行動傾向(たとえば動機づけ)を想定し,説明することが,より良い納得につながることは,我々動機づけ研究者にとってもっとも理解しやすいところであろう.
本企画を,そうした未整理の,素朴かつ根源的な課題について議論し,動機づけ研究の今後のありようについて考えるための一助にしたいと考えている.少なくとも,Social Motivation研究会として,文脈をどのように理解し扱っていくか(あるいは扱うことを放棄するか)について,共通の見解を提出することを目指す.
本企画は以下,2つの企画からなる.
「社会的文脈」は,人間行動を考える上で欠くべからざる要因であり,心理学研究においても注目され,取り上げられてきた.また,近年その重要性が再認識され,多くの研究が社会的文脈を考慮したものとなってきている.しかしながら,社会的文脈についての考え方は研究者により区々であり,扱われ方もかなり多様なものとなっている.そのことが幅広い研究を許容し,豊かな成果をもたらしている一方で,却って研究間の断絶と相互の不理解を増長し,それらの成果を相対的に評価しづらくしているという現状をもたらしているのも事実である.
そこで,研究成果をより実りあるものとするためにも,「社会的文脈」の概念について,その捉えられ方(理論)やその扱われ方(方法論)を再検討し,概念的な整理をおこなうことで,参加者の皆さまご自身のお立場を再認識していただき、広く活発な議論を展開するための礎を築く機会を提供すべく提案した企画である.
話題提供1 14:00-14:25
本報告では,動機づけ研究がどのように文脈をとらえ,扱っていくべきかの試論を提起したい.また,そこから新たな動機づけの概念的枠組みについて考えてみたい.
なぜ,動機づけ研究に文脈が必要なのだろうか?それは従来の動機づけのとらえ方に原因があると考えられる.従来,動機づけは,個人内にある性格特性のような比較的安定した特徴ととらえられてきており,個人の置かれた文脈や環境,状況を考慮してこなかったといえる.つまり,「達成動機の強い生徒」は,どのような状況においても達成動機が強く,「内発的動機づけの高い人」は,どのような状況においても内発的動機が高いとみなしてきたのである.しかし,このような特性論が行動を予測しないことはMischelを引用するまでもなく,今や明白である.環境,状況によって行動を変える個人を考える必要性,すなわち社会的文脈のような外的要因を考慮する必要性があったのである.
それでは,動機づけにおける社会的文脈とは何だろうか?社会的文脈を重視する最近の風潮は,社会的構築主義の影響があるといえるだろう.しかし,社会的構築主義の立場に立つと,個人内要因を認めないため,動機づけ研究は存在しえない.このように考えると,社会的文脈という用語で外的要因を強調する必然性はない.よって,動機づけにおける社会的文脈とは何かを考えるよりも,社会的文脈を従来の概念との関係で記述したほうが有益であると考えられる.そして,多くの文献において文脈は環境や状況と言い換えられているようである.このように,文脈を環境,状況と言い換え,これらを動機づけ概念に組み込んだ方が動機づけ研究が生き残るには得策であるように思われる.つまり,重要なことは,社会的文脈という用語をことさら強調し,検討することではなく,動機づけ概念にどのように環境,状況によって変わる個人という概念を取り入れるかであるだろう.したがって動機づけ概念自体の見直しが必要なのである.
状況や環境を含めた動機づけ概念を構築しようという試みは相互作用論の立場において,いくつか存在する.例えば,黒沢(1998)は,力動的相互作用論の立場から動機づけをとらえることの必要性を説き,新たな動機づけ概念を提出している.プロセス相互作用主義(Kurosawa, 1995)においては,欲求とは比較的安定した個人差としての内的特徴であり,動機づけとは欲求が状況と相互作用しながら行動に結びつく内的プロセスである.また,ここでは従来の動機づけ研究とは異なり,動機は常に変化する内的状態とされる.
また,これと似た動機づけのモデルとして,Nuttin(1984)の動機づけの関係モデル(relational model of motivation)が挙げられる.このモデルは,個人の欲求と環境が出会うことで,目標を見出し,行動の動機づけが生起すると考える.このモデルもまた,動機づけを単なる個人内過程でとらえていないと考えられ(白井, 1995),動機づけを個人の欲求と環境の関係,すなわち力動的相互作用論の立場からとらえていると考えられる.
本報告では,これらをもとに環境,状況を含めた動機づけ概念について検討していきたいと考えている.
話題提供2 14:30-14:55
臨床心理学において,「社会的文脈」は古くて新しいテーマである.なぜなら臨床現場では,クライエント本人からの情報だけでなく,その生育暦,家族・学校・職場などにおける人間関係など,周囲の関係者からも多角的に情報を収集し,クライエントの置かれている社会的文脈を把握しておくことが,セラピーを方向性づける上で必須だからである.このように臨床現場において「社会的文脈」は,ごく日常的に,問題理解と解決のための判断材料として使われてきた.こうした臨床心理学における文脈理解の理論・方法論の代表的なものとして,システムズ・アプローチに依拠した家族療法,そして最新の動きとしてはナラティブ・セラピーがあげられる.しかし,その理論的背景および技法等に関しては,専門以外の方々には,なじみが薄いと推察される.そこで本発表では,臨床心理学において「文脈」がどのように捉えられ,実践にとり入れられているのかを,「システムズ・アプローチによる家族療法」とその発展形である「ナラティブ・セラピー」における理論的背景・事例の流れ等をご紹介しながら,例示できればと思っている.
発表内容の構成
1.文脈の多角的アプローチ─システムズアプローチ
【概念】【理論】【システムズアプローチの実際】
2.文脈変容による癒し─家族療法からナラティブ・セラピーへ
【概念】【技法】【ナラティブ・セラピーの実際】
3.むすび─反文脈?行動理論との相違
話題提供3 15:00-15:25
Wenzel らの提唱するSocial Motivation とは,人が様々な他者や環境に囲まれて,どのような目標を持ち,どのようにふるまうかを説明するものである.そこでのキー概念は,social goal,つまり人がその場において追求する目標である.
Wentzelは,social goal 研究の流れを3つ提示している.一つは,人がどのような目標を設定するかは,その場においてふさわしい目標を選択するという社会的認知スキルであるとする,社会的認知論である.二つめは,人がその場で有能であるために,複数のsocial goal を追求すると考える,社会的コンピテンス論である.三つめの流れは,social goal の追求を,個人のパーソナリティー特性や欲求によって理解しようとする特性論に基づく研究である.
これらの研究の流れと文脈との関連を見ていくと,文脈の捉え方・切りとり方は,主体を取り巻く環境としての生態学的文脈から環境における意味や価値を支える社会・文化的文脈まで,階層/次元が輻輳していることがわかる.たとえば,特性論においては,ある欲求や目標志向性を形成しているのは,文化・社会・場の持つ価値による方向づけという文脈があると考えられる.社会的認知論においては,その文脈を行動主体がどう認知するのかということが論点となっている.社会的コンピテンス論においては,その場において達成するべき目標(文脈)が複数ある可能性をうかびあがらせている.また文脈をより生態学的にとらえ,目標達成のためどのような利用可能な資源が存在するかということも文脈として考えられている.
しかし文脈とは,個人とは対峙して存在する,動機づけや目標選択に影響を与える客観的な要因というだけではないだろう.個人は文脈によって影響を受けた志向性や価値を取り入れるが,内面化されたその志向性や価値を目標設定に反映させながら,さらに環境とかかわりあう,この相互作用を文脈と呼ぶべきであろう.このように考えると,Social Motivation研究における文脈とは,ある場面において複数存在する可能性があり,個人と環境との相互作用のプロセスであると捉えられるであろう.このような文脈を考慮した研究を行なうには,広い意味でその文脈の持つと思われる価値や意味を考える必要があり,また文脈を個人のおかれている場から考える場合,そのプロセスをどう記述するのか,という問題がある.本報告ではこれらの問題点をどう考えるかについて議論できたらと思う.
話題提供4 15:30-15:55
内発的動機づけに関する研究において,社会的文脈は初期のころから重要な位置を占め,その位置づけは研究が進むにしたがって変化してきた.初期の研究では,内発的動機づけに影響するさまざまな要因に対して,社会的文脈がそれらをmoderateするのかどうかという点が議論の中心であった.例えば,コンピテンスは内発的動機づけに影響するとされているが,このコンピテンスは社会的文脈によってmoderateされるのかどうかなどである.その後,内発的動機づけに直接的に影響する目標や価値などの動機づけ要因に対する社会的文脈の影響が検討されるようになった.例えば,個人が内面化する価値にとって,社会化は非常に重要であり,そのような社会的文脈は個人が価値づけるものに対して累積的に影響し,結果的に人を活動に内発的に動機づけるということである.この観点は,内発的動機づけに対する社会的文脈のやや遠位な影響を捉えようとしているものであるが,さらに近年ではこのような関連性に加えて,より近位な影響を示している研究もある.Sansone & Smith(2000)は,社会的要因を活動の周辺的な文脈として捉えるのではなく,活動の一部として捉えている.つまり,ある活動を遂行するにあたって,その活動自体が内発的に動機づけられるものであるのかどうかを判断する際,社会的環境はその活動の一部として捉えられる.したがって,個人は社会的要因を含めた活動自体が興味深いものであるのかどうか,内発的に動機づけられるものであるのかどうかを判断する.
このような研究の流れの中で,さまざまな要因が社会的文脈として取り扱われている.多様な人種や社会階級の人々が混在している欧米では,人種,宗教,生活レベル,教育レベルなどが社会的要因として扱われてきた.このような客観的な要因の他に,近年では,他者との相互作用の動機づけに対する影響の観点から,教師や親,仲間など,活動において関わりの深い他者の信念や態度が重要な社会的文脈の一部として取り上げられている.
人は最適な挑戦的事象を求め,さまざまな経験を自己の中に統合する傾向が生得的に備わっている.しかし,このような傾向は自動的に機能するのではなく,社会的環境のサポートがなければ効果的に機能しない.つまり,社会的文脈が活動への従事と心理的成長という生得的傾向を促進する場合も阻害する場合もあり得る.このように,人の動機づけに重要な影響を与える社会的文脈がどのように捉えられているのか,そしてこれからどのように捉えていくべきであるのかを検討する.
まとめ 16:00-16:30
文脈を無視して動機づけの研究はできるのか,ということを考えてみると,「できる」ということができる.動機づけ研究の歴史を紐解くと,当初は研究のベースに乗せるために,文脈を切り離してきて動機づけは考えられてきたのである.
近年,動機づけ研究がもっとも応用されている場面のひとつは,教育の場面であろう.この背景には,教育という文脈に社会的な価値観や目指すべき方向性が暗黙の内にあって,我々研究者は,そうした方向性から大幅に外れない限り,動機づけを体裁良く論じることができたということがあるだろ.またその一方で,そうした研究者の営みがこれまで十分に役立つものであったかどうかは別として,実践の場も,心理学的な知見に期待を寄せてきた面を見逃すことはできない.実践者たちも暗黙の価値観を有し,そうした価値観に向けて子どもたちを操作・統制するための,動機づけ研究の知見を欲していたのだと推察される.このようにして動機づけは,方向性を有する両立場を,これまで強固に結び付けてきたのである.
こうした関係性を振り返って今,私たち研究者が最も考えなければならないことは何なのか.企画者はそれを,教育の実践に携わってきた人々の「動機づけは教育現場に生きる」という期待に,真摯に応えることだと考える.少なくとも期待を抱いているのは,ただただ実践を知らない研究者のみといった滑稽な様相を呈する前に,それはなされなければならない.
本企画はそうした危機感から生まれた.仮に実践者側に動機づけ研究に対する不信感があるとして,どうしたらそれを払拭できるのか.そのための視点として,ここでは教育という「文脈」への着目を,議論の前提とした.教育現場に「役立つ」ために,文脈と動機づけというある意味対極にあるものを同時に扱う議論によって,動機づけ研究(者)はすでに歴史的使命を終えたのだとする見解に至るかもしれない(苦笑).この点についてもあわせて考えたい.本企画は以下,4つの話題提供と1つの指定討論から構成される.
初日総括 13:00-13:15
話題提供1 13:15-13:40
教育現場に対して動機づけの概念は,これまで一定程度の役割を果たしてきたと言うことができる.この関係は,価値観(方向性)を有する現場と概念が,単に結びつきやすかったというだけなのかもしれない.いずれにしろ価値観は自明のように,社会を反映して一方向的に定められるものであるから,その中身は慎重に問われる必要があるだろう.特に子どものためが大前提とされる教育では,当然の話である.そこで筆者は,教育を「個々の子どもの社会的発達を支援する営み」と捉えれば,目的の推進役が学校外にも広がり,子どもの選択肢を増大できる可能性が生じることについて指摘をしたい.筆者は指導者として子どもたちが放課後に行うスポーツ活動に携わってきたが,この場も,そうした教育的な役割を十分担える場のひとつであるべきなのである.
では子ども側は,放課後(のスポーツ活動)という時間と場を,どのように捉え意味づけているのだろうか.先に述べたような視点が,大人側の思い込みにとどまらないためにも,子どもによる場の意味づけを問う必要がある.本発表では,筆者がこれまでに行った研究からいくつかのデータを示し,研究対象者(つまり子ども)の文脈の捉え方という視点を加味した上で,データを見直してみたい.ここで簡単にまとめれば,以下のようにできる.
子どもたちは放課後に行う活動を「大好きで将来の職業にしたいもの」,つまりキャリア・デザインの中心に据えている.飛躍して言えば,放課後を,夢を目指した実践の場として捉え,夢の文脈として意味づけをしている.この視点から子どもたちを眺めたときに,あることに気づく.それは,我々動機づけ研究者が言うところの,動機づけが「ある」とか「ない」とかいった説明では,十分な説明のできない振る舞いが,放課後の子どもたちに見られるということである.夢を目指した場はこのように,従来の動機づけ理論の再考を促す場であると共に,子どもたちの発達を育み,鍛える,教育的な場として期待できるのかもしれない(…言い過ぎか?).
本発表では,夢への文脈として子どもたちに意味づけられた放課後の活動が,子どもたちの内観や行動に与える影響について,試み的に検討する.また「個々の子どもたちの社会的発達を支援すること」を目的とした,教育現場における動機づけ研究(者)の,今後のありようについても合わせて述べる.
話題提供2 13:45-14:10
子どもの自己調整学習と対人関係や教室環境との関係について最近指摘されつつある.Ames (1992)は,教室環境を課題のあり方,権威/責任のあり方,評価/承認のあり方に分類しており,目標志向との関係に注目している.教室場面での課題のあり方とは,教室ではどのような課題が設定されているかということであり,権威/責任のあり方とは,どのように教室をコントロールしようとするかに関わることである.そして,評価/承認のあり方は,教室では何が評価され,褒賞されているかということである.これらの3つの要因が,学習者の目標志向を予測する重要な役割を果たすと考えられている.
先行研究において設定された教室環境は主として理論面のみから導かれており(Ames, 1992; Blumenfeld, 1992; Epstein, 1988; Maehr & Midgley, 1991),子どもに対しての教室環境に関する実証的な研究はそれほど多くない(Ames & Archer, 1988; Anderman & Anderman, 1999; Church, Elliot & Gable, 2001; Peltonen & Niemivirta, 1999).それゆえ,子どもが実際に教室環境をどのように知覚しているのか,言い変えれば,学習を中心とする様々な活動へ子どもを動機づける環境とはどのようなものであるかを,子ども自身の知覚を通して明らかにしていくことが必要だと思われる.本研究では,小学生を対象として,子どもの目標志向の選択(熟達志向,遂行志向,課題回避志向),学習方略の採用(深い過程の方略,浅い過程の方略,セルフ・ハンディキャッピングの方略)や成績の自己評価(自己基準,他者基準)の仕方と,教室環境の知覚(課題のあり方,評価/承認のあり方)との関係について見ていきたい.そして日本においてどのような教室環境が,教育実践において有効なのかということを検討していきたいと考えている.
話題提供3 14:15-14:40
筆者は「動機づけ」を学習性無力感の諸症状のうちの一つとして捉えている「動機づけ」研究者という立場から今回の発表をおこなう.学習性無力感理論に基づけば,学習性無力感症状とは(1)動機づけの低下(2)情緒障害(3)認知障害からなる.たとえば,どんなにがんばってもうまくいかないことを何度も経験すると,やる気がなくなり,落ち込み,次もまたうまくいかないだろうと考えてしまう.このような場合,学習性無力感に陥ったと考えられる.筆者はこれまで「教育」現場でみられる学習性無力感に関して以下のような視点から研究を行ってきた.第一に臨床心理学的観点,すなわち,やる気のない無気力な状態に陥っている生徒・児童に対してどのように介入すればよいか,第二に健康心理学的観点,すなわち,健康を維持している生徒・児童が無気力な状態に陥るのを予防するにはどうしたらよいかということである.そのなかで,今回は「教育」「文脈」と関連する研究として,学習性無力感理論における「文脈」の重要性について検討した2つの実証データについて報告する.有意義な議論への橋渡しとなれば幸いである.
研究1:優秀な進学校の高校生 VS. 落ちこぼれ高校生 の努力観
大学進学率の異なる二つの高校の生徒を対象に調査研究をおこない,学業達成場面における動機づけの高さの違いが帰属概念に与える影響について検討した.改訂学習性無力感理論では失敗を努力不足のせいにすることが無力感につながるとされているが,「教育」という「文脈」に対する動機づけや認知の違い(たとえば,苦手意識や重要さ)によって,努力という言葉の意味することは異なっていた.研究2:運動場で活躍することを大切だと思う中学生 VS. 思わない中学生 の無気力感
「教育」という「文脈」の中でも,勉強・友達関係・運動といったさまざまな場面がある.これらの場面を「教育」の下位概念としての「文脈」と呼ぶと,これらの「文脈」をどのように認識しているかによって,生徒の感じている無気力感の程度は異なっていた.
話題提供4 14:45-15:10
英語教育における動機づけの研究を見てみると,「なぜあなたは英語を勉強しているのですか」といった学習理由を尋ねている研究が多いことに気づく.いわゆる目標観を調査している研究である.答えとしては,英語が好きだからとか,海外旅行で使えるから,仕事で必要になるから,受験に必要だからといった多様な答えがでてきて,なるほど,生徒たちの目的意識に答えるにはこういった点を授業でフォローしてあげればよいのかと大いに参考になる.
ところが実際にそれが生徒たちの動機づけを説明しているかというと,半分はあたりであろう.洋楽や洋画の英語が聞き取れるようになりたいのであれば,歌を流してあげるなどすれば,たいていの生徒はのりよくこちらにつきあってくれる.では,あとの半分はと言えば,実際には程度の差こそあれ,上にあげたような理由はどれも生徒が心に思っていることであり,どれが有効という決定的な手にはならないことに気づく.海外旅行にいきたいからという生徒が,じゃあ受験はいいのかといわれればそうではないのである.調査の結果を見てみても,5点の尺度で平均してどれも3点以上ということが多いが,それは裏を返せば,どれもそれなりに理由となりうるということである.では生徒の文脈に立ったとき,何が生徒たちの声にあがるかというと,なぜ英語を勉強しないのか,なぜ英語を勉強できないのかといったネガティブな理由である.従来の動機づけの研究でもamotivationや無力感などとして扱ってこられたが,どちらかというと数多くある肯定的な動機に対するネガティブな側面を一手に引き受けている感があり,その多面性が議論になることはすくないように思える.
そこで今回の発表では,生徒になぜ英語を勉強するのか,なぜ英語を勉強できたのかといった肯定的な理由とともに,なぜ英語を勉強しないのか,なぜ勉強をできなかったのかといった否定的な理由を尋ねてみた結果を,実際の生徒たちの様子をまじえて報告したい.
指定討論 15:30-16:00
全体総括 16:00-16:30